人物紹介

こんにちは、【いしきり】です。
このレポートでは
なぜ、私がネットビジネスで起業しようと思ったのか?
なぜ今、ビジネスで起業したい人に必要な知識を教えているのか?

私がネットビジネスを始めたきっかけと今の取り組み、
今後目指している世界について具体的に話していこうと思います。

もし、これを読んで少しでも私の考えに共感してくれたら嬉しいですし、
深い意味でのビジネスに対する考え方を共有できたら良いなと思っています。

それでは、いしきりのお金と自己肯定感の関係性、子供への教育に対する物語について綴ります。

はじめに私がどんな環境で育ってきたのか?

学生時代から社会人になってから、どのような経験をしてきて、今ネットビジネスの世界に入ったのか?

自分に自信が持てない状態から、自己肯定感を手に入れて
価値観の変化や周囲の環境世界がどう変わっていったかを細かく書いています。

かなりの長文にはなりますが最後まで読んでくれると嬉しいです。

それではここから始まりです。

【親戚に預けられて育った幼少期】

私、いしきりは妹と二人兄妹で、日本のあるところで生まれました。

両親は現在までずっとフルタイムで働いています。

幼少期は母方の実家に日中ずっと預けられていて、
自分の家(当時はアパート)には寝るために帰るような生活でした。

幼稚園年長の夏休みに父方の実家に引っ越し、そこで高校卒業まで暮らします。

今の実家に引っ越しをしても両親の生活スタイルは何も変わりませんから、
妹と私はずっと祖母に面倒を見てくれて、
夕飯も帰りの遅い母に代わり祖母が作る方が多かったです。
そのため、私は「母の味」というよりも「祖母の味」という表現がしっくりきます。

しかも、両親はどちらも個人主義の様な人間で、
休日には各々出かけていましたし、
子供の遊びに付き合うはあまりなく、
自分が気になる事だけを聞いたら後は子供に関心がないような振る舞いのため、
親子での会話が基本的にありませんでした。
自分が寝る直前まで両親は家にいないというのもありましたね。

今でも私は自分の両親と話をして何が楽しいのか理解が出来ません。
はじめ、妻が義両親と楽しそうに話をしているのを見た時には
自分が異世界に来たような感覚でした。

そんな会話が殆ど無い様な家で生活していても、
小学校の高学年になるまでは楽しく学校に通っていました。

【小学生になり虐めを経験】

小学校の高学年になると周囲からの嫌がらせ(虐め)に合うようになりました。

理由はよくわかりませんが、物理的に何かをされるのではなく、

私が嫌がる呼び方を集団でしてきて、私が反応すればはやし立てる。

反応しなければするまで呼び続けるという何とも陰湿的なモノでした。

そんな生活が続くと、朝学校に向かおうとすると途端に気持ちが悪くなってしまい、

何度も途中で吐いてしまっていました。

(当時、なぜ自分は吐いてしまうのかその理由は分からず。
病院にも通いました。しかし、病院で検査をしても理由は分からない状態でした。
今思えば「学校に行きたくない」と体が拒否していたんだと思います)

そんな出来事が小学校の高学年でずっと続いた結果、
卒業まで「表面上は付き合うけれども本当に仲のいい達はいない」
そんな状態でした。

この高学年の3年間で人と関わる事が苦手になったのだと思います。

【隅っこでじっとしている様な中学校生活】

中学に進学しても、小学校の経験から人付き合いが苦手なのは変らず、自己主張が出来ない状態。

部活動は文化部に所属してちゃんと参加もしていたのですが、
理由は分かりませんがハブにされ3年間部活の中で孤立していました。

中学校生活は小学校の経験をずっと引きずっていたような感じなので、
3年間ずっと、取り合えず楽しくもない学校に行っている状態でしたね。

【仲間と出会う高校生活】

高校に入っても人の関わりに苦手意識がありましたが、
空手部に入部して同じ部活で汗を流す仲間が出来、
苦手なりにコミュニケーションをとっていました。

小学校の経験から、出会ってすぐは自分からあまり話しかけられず、
どうしても探り探りだったので、自分の素を出せるようになるまで時間が掛かりました。

そんな私を知る友人は私を
「良いやつなんだけれど、それが分かるまでに時間が掛かる」
「最初は味がしないけれど、噛んでいると味の出てくるスルメのような奴」
「だから、そこまで付き合いが無いやつは好き嫌いが極端に分かれる」
と表現していました。

【フラフラしていた大学生活】

大学は神奈川県にある大学の工学部に進学したのですが、
人付き合が苦手というのは相変わらずのため、
基本的に同じ高校から進学してきた仲間とつるんでばかりで、
学内で新しい人間関係の構築はほとんどしていませんでした。

それよりも趣味になったバイクを通じての知り合いが多くなりましたね。
会ったその時に趣味の話だけしていればいいので、お互いに深くかかわらない関係が
とても心地よかったです。

【人生の転機、お巡りさんと暗黒時代】

大学を卒業して最初の職業が警察官でした。
警察官になった理由は
「人の為になる仕事をしたいな~」
みたいなそんなフワッとした理由です。

結構頑張って試験勉強をして、警察学校に入り、無事卒業をして
ある警察署に配属になりました。

私の暗黒時代は交番に配属され、ある部長と一緒の交番で働くことで
始まります。

内容が暗くて重いので、詳しくは軽い感じで書いたこちらの記事を読んでみて下さい。
https://twitter.com/n_ishi88/status/1709055592621551793

ざっくり言うと、この部長から顔を合わす度に人格否定を散々され、
有能な同期と比べられていたところ病んでしまい、退職しました。

辞める前の一週間はどう「〇ぬ」かしか考えていませんでしたし、
辞める3日前からは食べなくても一切空腹を感じないようなそんな状態でした。

【徹底的な逃げと開き直り】

警察官を退職してからは地獄から解放されたような気持ちがあり、
「今後出来ないような経験を全部やっておこう!!」と、
行動力が爆発しました。

先ず行ったのはバックパッカーで、
先に警察官を止めてしまった警察学校時代の同期と一緒に、1週間マレーシアをフラフラしていました。

その後も実家にこもっていることが苦痛で、紙ぺら1枚の書置きを残して

3カ月ほど北海道をバイクで1周する一人旅&住み込みバイトで旅費を稼ぐ生活をしてました。

警察官の時のトラウマが解決した「コレ」といった切っ掛けはありませんでしたが、
考えが変わったのは一人でフラフラと道内を走っている時でしたね。

一人旅で話し相手もいないため、移動中は歌うか考え事をするかだったのですが、
やっぱり、退職直後であったためトラウマになった部長との出来事も
どうしても考えてしまいました。

考えて、考えて出た結論は
「自分の性格はどうにもならない」
「自分は自分として生きていくしかない」
「言われたことをくよくよ考えてしまってもこれが自分だもん、しゃーないしゃーない」
「うじうじするさ、失敗とか怖いもん。言われなくて分かってら」

です。
ここでなんか開き直りましたね。

【引き続きの未経験チャレンジ】

1人旅から帰ってきても引き続き未経験チャレンジは続きました。

今後自分は「先生」と呼ばれる職業に就くという経験は出来はまず無い、
人に教えるという経験も今までないし、
今後も無いだろう。

「じゃあちょっと経験してみよう」

そんな軽い感じで塾の先生に挑戦。

3年間、小・中学生に主に理系科目を教えていました。

やってみてた感想としては、自分は理解していても
それを理解させることはとても難しい。

ただ教科書を読むだけでは理解させられないから
生徒に合わせて理解しやすそうな例を挙げて説明しました。

理科の時はただ説明するだけではなく、
家にある道具を塾に持って行って生徒の目の前で実際に実験を行い、
教科書の内容が本当に正しかったと生徒と一緒に確認。
(実際に実験をするような先生は自分だけ)

そうして塾講師として教えているうちに、
生徒が
「あぁ~そういうことなんだ」
と言ってくれるようになりました。

例えバイトの先生であっても教える側は
自信が無くても先生として振る舞わなくてはいけないという考えとか、

人へ分かりやすく教えるという考え方はこの塾講師の時に培われましたね。

生徒から信用されると保護者からも信用され、夏休みには
塾内の授業だけでなく、保護者からの要望で
普段は行っていない家庭教師を頼まれたりもしたんです。

フリーターで塾の先生のは3年と決めていたので
辞めましたが、生徒の中には私の授業じゃないと通いたくないと
言ってくれた生徒もおり、その子は本当に私と同じタイミングで塾を
辞めてしまった時にはびっくりしましたね。

そんなに自分を信用してくれていたのかと。

【知り合いに誘われて製造業へ】

塾の先生を辞めた後は、知り合いのつてである製造関係の会社に入社しました。

そこでは、大きな工場や危険な場所に入り、設備の設置を行いました。

現場では、

命綱は着けているが、その命綱を掛ける場所が無い様なところでの高所作業をする時もあり、
もしうっかり足を滑らせたらそのまま死んでしまう。

大きな機械の横で作業をする時もありましたが、もし服が少しでも巻き込まれたら
そのまますりつぶされてしまう。

そんな命の危険が伴うような場所での作業も何度か経験しました。

ある時、会社での作業中に鉄骨に両手を挟まれて両手の親指を亜脱臼。

病院の先生が言うには
「いしきりさんの手の筋が固かったら親指が両方とももげていましたよ」
だそうです。

今後もこの会社で働いていたらもっと大きなけがをしてしまうという想いと、
まだ公務員として働きたいという想いがあり退職。

【新しいスタートと新しい家族】

公務員試験には結局落ちてしまったが、業務委託を受けている会社への入社が決まり、
公務員と一緒に働くことになりました。

警察官時代は仕事をして市民から文句を言われ、関わるのは違反をしたドライバーや犯罪を犯した人、
上司は超パワハラで精神が病んだ。

製造業の時は高所作業や危険な場所での作業で命が危ない。

オフィスでの仕事は天国でしたね。

精神的にも肉体的にも安全な場所で生活すると、心にも余裕が生まれてきて、
自分の今後のお金に関する考え方が変わったのがこの辺りになります。

そのタイミングで付き合っていた今の妻と結婚。

通勤中にYouTubeでお金に関して情報発信している方の動画を聞き流していたのですが、
「もらえる年金は年々減っていて、自分の時にどうなるかは分からない」
という浅い知識もあり、『副業』という会社以外から収入を得る方法に惹かれました。

塾講師をしている時に、同じく先生をしていた人がFXをやっていて教えて少し教えてもらったのですが、
これを実際に自分で運用してみるととても難しく、

夢にまで見てうなされたため、ローリスクで始められるという言葉にも惹かれた部分はありましたね。

最初に試したのはメルカリ物販
自分のいらないモノを売って利益は少しだけど出せたんですよ。
しかし、いざリサーチして転売しようとするとリサーチが大変だったり、
商品を置いておく場所が必要だったんです。
妻と住んでいるアパートに場所の余裕はない。
さらに、
リサーチ=売れるモノを探す
売れるモノ=自分の興味があるモノ
ではないため、興味がないモノを調べ続けるというのが苦痛で辞めてしまいました。

次がプログラミング
キーボードをたたいてHTMLとCSSを少しいじれるようにはなり、自分でホームページの画面を作るのは楽しかったのですが、
それだけで利益を出すことは難しく、他のプログラミングを勉強しようとしたが、情報量が多すぎてついていけなくなってしまいました。
実際にプログラミングを本職にしている親戚に話を聞いてみると、今の知識量では稼ぐのは難しいとも言われましたね。
機会があればまた勉強したいです。

そんな風に仕事をしながら副業の勉強をしている時に妻の妊娠が発覚しました。

一番最初に話したように、私の実家は家族での会話が無く、まったく楽しいと思った経験が無かったので、
友人が話していたり、妻の実家を見て『楽しい家庭』を作る事が夢だったんです。

自分は両親と不仲であるため、自分の子供とは出来るだけ長くそばにいたいと新婚時代から妻と話していました。

子供が産まれる前に育休制度について調べ上げ、
会社に1年の育休取得を申請。

社内の男性で1年の育休を取得した人間は私が初めてだったので、
まあ色々と上から言われましたが無事取得。

妻と二人の育休生活が始まりました。

【育児と高単価ビジネス】

育休当初の生活リズムをちょっと書こうと思います

私は前日の21時に就寝、午前3時に起床して、
ワンオペしている妻と子守りを交代。

妻は午前3時に就寝して、午前9時に起床。
お互いが6時間は確実に寝られるようにシフト制にしました。
コレは息子をミルクで育てたから出来たというのもありますね。

交代したら午前9時は私のワンオペになるので、
子供が起きたらミルクをあげて、オムツを替えて、寝かしつける。

新生児は大体、3時間おきに寝ると起きるを繰り返します。

午前9時を過ぎると妻が起きてくるので、
そこからは二人体制で育児を開始。

交代で食事を摂ったり、買い出しに行ったり、
時々みんなで昼寝をしたりしているといつの間にか夕方になります。

夕方になると子供を沐浴させ、交代で食事を摂るともう21時になるので
私は午前3時まで就寝。

そんな生活が5か月ほど続きました。

子供が大人と同じくらいの睡眠時間を取れるようになった時には
また、生活リズムが変わります。

私がネットビジネスに出会ったのはこの生活中でした。

最初の頃はプログラミングの勉強を行っていて、本職の親戚から
「今の知識量では稼ぐのは難しい」
と言われたのがこのタイミングですね。
今後もプログラミングの勉強を続けていこうか悩みました。

そんな時に、子供の誕生をきっかけに始めたTwitterでDMを受け、
起業スクールに入らないかとセールスを受けたんです。

今後の副業をどうしようか悩んでいる時に在庫がいらなかったり、
仕事をする場合を選ばないネットビジネスに惹かれ、
結構な金額を払って入会をしました。

ただ、

入会から数カ月して分かったのは
①     セールスの時に説明してくれた方が教えてくれるわけではなかった
②     先生とのZoomは月1回しか行われなかった
③     ZoomとZoomの間は動画をみて感想を送るだけ
④     結局バックエンドで他の人をスクールに誘って入会したらアフィリエイトが入るよ
⑤     商品(コンテンツ)の作り方は教えてくれない
⑥     アカウントの添削をしてくれるわけではない
⑦     何を行っていくのが具体的に分からない

うーん…
これ、いつになったら稼げるようになるんやろ?

めちゃくちゃ不安になりました。

親身になって色々と詳しく教えてもらえて、
いち早くマネタイズできるようにサポートしてくれる
と聞いていたのにこれでしたから。

そんなスクールでしたが、良い事もあって
「カウンセラーやコーチ、コンサルみたいに人に教えるビジネスをしたいなら
実際に行っている人にどうやっているのか聞いてみたらいい」

とストアカで色々な講師の方を進めてくれたんです

その中の一人が、今私が行っているビジネスを教えてくれた先生になる方でした。

その先生の教え方はとても分かりやすく、

今までスクールで聞いた話は何だったのだろうと思うくらい。

イメージできないモノが、すんなりと
「あぁ、こういうことだったのか!」
と理解が出来ました。

ある意味当たり前だったんですよ。
先生は
 
『わかりやすさ』がどんなに大切かが理解していて、
自分も『わかりやすい』と言ってもらえるような教材を作ろう。

こういう信条で講座を行っていたんですから。

そこから何回か講座を受講し、
この先生ならちゃんとマネタイズの方法を教えてくれる。
この人でダメだったら、副業は諦めよう。

そんな思いでコンサルを依頼しました。

こうして私は今行っている
高単価ビジネスやコンテンツの作り方を学ぶことが出来たんです。

先生の『分かりやすさ』への信条を受け、
私も『分かりやすさ』を意識して相談に乗っているため、

相談者様からはZoomを行った後には

こんな嬉しい反応も貰えました。

【いしきりが高単価ビジネスをする理由】

高単価ビジネスを行うと生活にどんな変化が現れるのかちょっと紹介していこうと思います。

まず、高単価ビジネスってビジネスがしやすくなるっていうのもありますが、 ライフスタイルもめちゃくちゃ良くなりますよ。

これからあなたが高単価ビジネスをはじめたとします。
すると 30万円の商品が月1人にでも売れたら、サラリーマン、バイト、パートの月収と同じくらいの金額がそれだけで手に入ります
(税金とかそういうのは、ちょっと置いて話しますね)

そうすると、 パワハラ上司やクソ店長から安い給料でこき使われることが金輪際なくなるので、 ストレスフリーな生活が送れるようになります。

今まで自尊心が低く、自信が無かった人でも 自分でビジネスしてお金を稼げるだけで自分に自信が持てるようになります。

今まで仕事先に収入を決められていたのに、 自分でお金を稼げるようになれば 「これだけ稼げてる俺って、意外とイケてるかも…!」 って思えますよね。

私が高単価ビジネスをやってて良かったことは、お金が稼げたということも確かにメリットなんですが、 それよりも時間の余裕が生まれたことが最大のメリットなんです。

私がなぜビジネスを始めたかというと
「家族と過ごす時間が沢山欲しい!」
正直コレだけです。

反りの合わない上司が嫌とか、大変な仕事が嫌とか、そういうのはどうでもいいです。

とにかく、もっと家族との時間が欲しい!

せっかく結婚して子供が出来たのに、
通勤の為に子供との触れ合いの時間を削りたくない!
残業して子供との時間を削りたくない!

生涯わが子と一緒に過ごせる時間は
母親が約7年6ヶ月(約65,700時間)、
父親は約3年4ヶ月(約29,200時間)
(父親少なすぎない?)

という研究結果も出ています。

更に、 わが子と一緒に過ごせる時間の全体を100%とします。

子どもの成長に沿って見ていくと、
幼稚園入園時には18%が過ぎ、
幼稚園卒園時には32%、
小学校卒業時は55%……と経過し、
高校卒業で親元を離れるころには、73%も過ぎ去ってしまうそう。

小学校を卒業する時点で、一生のうちに子どもと一緒に過ごせる時間の半分以上も過ぎている。

そんなの冗談じゃない!!

だから私は、勤めている時に育休を1年取得もしました。
家でビジネスを行なえば
無駄な通勤何てしなくていいし、
残業も無い、
個人でやるから時間に融通が利く

これで会社員と同等の稼ぎがあるならやらない手ありません。

あとは人間関係とかでも悩まなくなりますよ。

会社に勤めていたら何かと職場のストレスって、ありますよね?
上司や同僚、取引先の顧客などなど・・・

これが家で高単価ビジネスできていたら、イヤな人間関係は全部シャットアウトできるんでいいです。

こまで高単価ビジネスのメリットをお伝えしてきましたが、どうでしたか?

なんだか興味が出てきませんか?

高単価ビジネスって、まずは「高単価商品」を見える場所において置くだけでいいので、誰にでも簡単にできます。

とりあえず「高単価商品」をおいて置く。
そして、 高単価商品を買いそうな人を集めて教育していく。

これだけでストレスフリーな生活が送ることができるので、逆にやらないともったいないくらいですね。

しかも「高単価商品」を置くのは無料で出来るので手っ取り早くので、おススメです。

だって「商品の価格」を今の価格の2倍・3倍・10倍に変えればいいだけなので。

ということで、いろいろ話してきましたが、あなたも是非、高単価ビジネスやって欲しいのです。

【私がビジネスをしている本当の理由】

そんな感じで今、私は高単価ビジネスやコンテンツビジネス、
情報発信の方法、ZOOMセールスのノウハウ
をメインに会社員から実業をされている方まで幅広く、
ネットからお金を生む方法をアドバイスしていますが

ただ単に私は他の情報発信者と同じように
ネットビジネスを教えているわけではなく
ある理念、考えがあってこのビジネスをしています。

それは何かというと、
『家族との貴重な時間を犠牲にする必要のない世界を作る』という理念です。

私は今子供がいて、家事、育児、ビジネスを同時に行っています。

今、会社員をしている方は
給料が上がらない、なのに税金は上がるし、
物価も上がっていて、将来の不安がある。

これで更にお子さんがいれば不安はもっと大きくなるでしょうし、
将来的にお子さんが欲しいと望まれている方の不安でもあるでしょう。

そんな中でも
子供は出来るだけ良い環境で育てたい。
そのためにはお金が必要になってくる。

でも、現状は
子供の教育にお金を掛けられるかどうかもわからない。
将来、子供を養える余裕があるか分からない。
お金があれば解決できるのにお金がないからそれができない。
お金が無いから家族との時間を犠牲にして残業を行い、給料を増やすしかない。
なら、副業でもなんでもいいので
子供のためにお金を稼いでいこうよ。
家でビジネスを行って稼ぐことが出来れば残業する必要も無いよね。
残業分を一度で稼いでしまえば、家族との時間をたくさんとれるよね。
という想いがあります。

私がビジネスをしている本当の理由は
『お金の為に家族が揃っていられる時間を減らして欲しくない』
『お金の問題で子供の可能性を狭めて欲しくない』

といった理念から来ています。

だから、私はお子さんをお持ちの方に、
会社に頼らずとも自分の力でお金を稼ぐ方法を教えています。

お子さんをお持ちの方が自分の力でお金が稼げるようになると
親子でのコミュニケ―ションの機会を増やせますし、
子供の教育にお金を掛けられるようになるので
そのお子さんは将来、大きく育つのです。

『子供が○○をしたい、○○を学びたい』
といったらそれがすぐに叶えてあげられるくらいの
環境を子供に与えてあげましょうよ。
お子さんと一緒にその経験が出来るくらいの時間の余裕があったらいいと思いませんか?

私は子供に『子供が○○をしたい、○○を学びたい』と言われたら
やらせてあげたいですし、
私も一緒に経験して共有した時間について子供と話がしたいと思っています。
 
『お金の為に家族が揃っていられる時間を減らして欲しくない』
『お金の問題で子供の可能性を狭めて欲しくない』

という想いでいしきりはビジネスを教えていますし、情報発信をしています。

もちろん
お金がすべてでないっていう意見はあるけど
お金で解決できる問題はお金でチャチャっとお金で解決してしまえばいいんです。

過去、私が経験してきた子供時代の負の経験をして欲しくないと思って
このビジネスをしていますし、この想いを伝えたくて
今まで生きてきた人生を振り返る感じで長文のレポートにまとめてみました。

かなり長いレポートで読み終わるまで時間がかかったと思いますが
このレポートの感想をコメント欄くれるととても嬉しいです。

最後までお読みいただきありがとうございました。

それでは。